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      このページでは押し花との出会いや押し花を習い通じて人とのふれあい感謝の気持ちを書いてみました。

 

 押し花との出会い
僕と押し花の出会いを少し話させていただきたいと思います。
今こうして押し花に魅了され夢中になり押し花をしている自分の姿は当時の生活からはとても
想像できませんでした。僕は幼い頃より高校・社会人と今でも大好きな野球を続けています。
今から15年くらいの日々が過ぎようとしています。当時、高校時代(硬式野球部)の先輩・後輩で
クラブチームを結成し実業団軟式野球大会(国体予選)天皇杯野球大会・クラブ人野球大会と大会に
向け野球三昧の日々を過ごしていました。チーム成績は地区登録CクラスからのスタートでCクラスから
Bクラスに、Bクラスから数年でAクラスまで実績を残し昇格しました。1996年に福島県で行われた
東日本野球大会で群馬県代表とし国体出場への切符をかけ出場した時の話です。
僕のポジションはショート(遊撃手)でサード後方へ上がったファールボールを追いかけフェンスに激突
試合が負けていたのと主将としてワンプレーでもう一度ゲームの流れを引き寄せたい気持ちが
焦ったのたのでしょうか?アウトにできたもののフェンスに激突の際に体を手でかばっい指
(人差し指・中指)の靭帯損傷してしまい医師からは指が元の状態に戻るのは難しいと判断を
受けましたが群馬にもどりリハビリを開始し医師の話ではピアノまたは指を使う繊細な作業
(編み物・切り絵・ビーズ工作・模型作り)を要する事が指のリハビリになるとすすめられましたが
僕の指はドラえもんのような丸い手でピアノはとても指は短くて弾けないし繊細な作業と言っても
何が繊細か?何をすればよいのか?頭に浮かばなく考えていた時に僕の知人の友人が押し花教室を
開催されたようで知人からは押し花の作業はピンセットやはさみも使う作業もあると話は
聞いていましたので教室へ見学に出かけました。教室では先生がピンセットやはさみを用いて器用に
額の作品を手がけていました。完成した作品はとても美しく僕の抱いていた押し花のイメージを覆し
想像を絶するものでした
押し花の美しさ・素晴らしさに魅了され先生のように素敵な作品を
作ってみたいと強い気持ちになり僕ももともと山育ちで花や木に草がどちらかと言えば
好きな方でしたので押し花教室への入会を決めました。
押し花の作業が指のリハビリになったのかはわかりませんが数ヶ月間にかけ動かなかった指、
元の状態に戻るのは難しいとまで言われていた指も今では回復し年老いて昔のように体も動かなく
体力もありませんが仲間達と大好きな野球を続けています。今では野球同様に押し花が大好きです。
また夢中になれるものを見つけられ押し花と出会えて本当に良かったと思います。


    ありがとうの言葉    
   
ある手作りバザーに押し花コースターを出展した時の話です。
会場では僕のコースターが500円で売られていました。少し高い値段と感じましたが誰が
買ってくれるのか?どんなコメントが聞けるのか?興味もあり会場で見ていました。数分後に
小学生低学年くらいの女の子が僕の作品に手を伸ばし買ってくれました。小学生低学年の
500円は貴重で大金です。歌の詩ではありませんが作品を手にし見ながら嬉しそうに微笑み、
その笑顔を見た時に本当に押し花を作って良かったと嬉しく思いました。僕は嬉しさからか
その女の子に「買ってくれてありがとうね」と声をかけると「お兄さん、かわいい作品を
作ってくれてありがとう」と返事が返ってきました。「来年も出すからね」と約束をして会場を後にしました

翌年になりまたバザーの時期が訪れ、僕も去年同様に押し花の手作りはがき5枚を出展しました。
会場の開演時間を数分遅れ会場に入ると押し花はがきは完売されていました。背中をちょんちょんと
触られた気がして振り向くと去年の女の子でした。女の子は3枚の押し花はがきを買ってくれたようで
僕に声をかけてきました。「今年もかわいい作品を作ってくれてありがとう。他に欲しい人もいると思って
2枚を残しておいたの」小学生低学年くらいです。やさしい気持ちを持った女の子でした。
正直今の現代社会、挨拶やお礼にお詫び一つ言えない人をたくさん目にしますが小学生低学年の
女の子ですが私たちもそうですが我々大人は子から学ぶところが多くあるのではないかと思いました。
「ありがとう」の言葉って本当に素敵な言葉です。こちらこそ「ありがとう」です。
押し花を作って本当に良かったと思う瞬間です。
また喜んでもらえるような作品を作れるよう努力していきたいと思います。

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